-アメカルにまつわるエトセトラ- #3「ザ・フェイクカーガイ…?」

コラム

アメマガ2020年5月号

アメカルにまるわるエトセトラ

#3「ザ・フェイクカーガイ…?」

et cetera about AMERICAN CULTURE -アメカルにまつわるエトセトラ-


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#3「ザ・フェイクカーガイ…?」

どうも2020年はカーガイ映画の当たり年らしい? 前回ネタだった「フォードvsフェラーリ」に続き、「ジョン・デロリアン」という映画が公開されました。小規模な公開だったので、ご存じない方も多いかもしれません。かくいう私も知らなかったのですが、以前から興味のあった人物だったので、公開を聞くや否や観に行ってきました。


ジョン・デロリアンという人物はご存知でしょうか? そう、映画「バックトゥザフューチャー」でタイムマシンとして使われたデロリアンの生みの親として知られています。私も当時は「GМで成功したエンジニア氏が理想のクルマを作ろうとして失敗したらしい」までは良いとして「なんで麻薬で捕まってんの?」程度の知識だったので興味は持っていました。ところが、少し調べてみると自分の無知を恥じ入るほど、アメ車…それもマッスルカー誕生には欠かせない一人だったのです。


あまり裕福ではない家庭で育った彼でしたが、クライスラー入社後、パッカードを経た後に高額な給与オファーを受けてGМのエンジニアに就任。当時、GМではレースでのワークス活動は禁止していたのですが「パフォーマンスの誇示はプロモーションに欠かせない」と考えた有志によって作られたのがポンティアックGTO。そのなかでも重要な役割を果たしたのがジョン・デロリアンでした。プロジェクトは大成功をおさめ、マッスルカー系譜の発端となりました。その他、数々の功績により当時のGМでは最年少となる40歳の部長職に就きますが、突然退職して「デロリアン・モーター・カンパニー」を旗揚げしました。そこで誕生したのが“夢のクルマ”になる…ハズだった「デロリアン」です。


端的に言うと資金調達に失敗したのが全ての原因だったようです。GMという巨大な傘の下で思う通りに腕を振るってきた彼にとっても、約40年前とは言え、既にBIG3でがっちり固められていたアメリカの自動車業界で起業するのは無謀なことでした。ひょっとするともう10年ほど早く、しかもバックヤードビルダーが成り立っていたイギリスで旗揚げしていたら状況は変わっていたやもしれません。実際、デロリアンの車体設計にはロータスが関わっていたのでそんなイメージが彼の中にもあったのかも…。


映画のキャッチは「この男、詐欺師か天才か」。これ、「上手い」と思ったのですが、観賞後は「詐欺師…というより、永遠のクルマ中二病だったんじゃないかしら」と。彼の手掛けたポンティアックGTOのオーナーに「今度、こんなクルマを計画してるんだぜ」と言いながら、メモ帳にサラサラっとデロリアンのスケッチをするシーンがあるのですが、その時の嬉しそうな誇らしそうな顔が印象的なのです。いや、もちろん俳優が演じてるんですけどね。

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TEXT & ILLUSTRATION : JIN HATTA
アメ車マガジン 2020年 5月号掲載


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