マットラッピングで楽しむアイランドスタイルの真骨頂!
2007 TOYOTA TUNDRA LIMITED
EXTREME CUSTOMS 「自分色に染め上げる」それがカスタムの醍醐味
2007 TOYOTA TUNDRA LIMITED
「自分色に染め上げる」それがカスタムの醍醐味 熊本県で磨き、コーティング、プロテクションフィルム施工などを営むR's Polish代表の岡本さん。そんな彼の愛車は光沢とは相反する艶消しのフルラッピング。なぜ極艶ボディではなくフルラッピングなのか?その理に適った理由とコンセプトに迫る。
デカくて太いタイヤを履くならボディを保護すべし!
ノーマル車高に20インチ履きの2007年型タンドラを岡本さんが手に入れたのが約2年前。当時から南国の現地人が気取らずにナチュラルな足として乗りこなすアイランドスタイルに魅了されていたことで、まずはラフカントリーの6インチアップキットを組み込み、同じ九州に店舗を構える覇王ホイールに似合うホイールを相談したのがカスタムライフの始まり。
その時はまだハイフォージドブランドは存在せず、当時のトレンドホイールのアメリカントラックスの20インチをチョイスし、12Jのディープリムにパイプフェンダーを合わせて35×12.5R20インチで合わせたものの、年々肥大化するSUV&トラックシーンにおけるボトムスの進化に感化されて、もうワンランク上を目指すこととなった。
だが、22インチのPCD150で探すと納得できるホイールが極端に少なく、悩んでいた矢先に覇王ホイールからオーダーホイールブランドをリリースすると聞いて相談。どうせ作るなら22インチよりもうワンサイズ上げて24インチにしてみては?と勧められて、デザインなどを打ち合わせ、10パターン程のデザインを提案してもらい、一番気に入ったデザインが今回新たに装着したハイフォージド24インチだ。
リム幅は14Jと以前にもまして超ディープリムとなり、アテューロタイヤのトレイルブレイドボスは38×13.5R24と求めていたサイズ感を上回る勢いでインストール。ラッピングはそのサイズ感で巻き上げる泥や小石によるボディの損傷を保護するためだと言う。傷が付けば磨きの仕事が潤う。しかし未然に防ぐ対策を提案することこそ〝本物のプロ〟であり、日頃から彼が大切にしているビジネスコンセプトなのだ。
2020年10月にプロコンプから新たにリリースされた7インチアップキットを導入。それに合わせてタイヤ&ホイールを格上げ。ちなみにスタイルのコンセプトはナローボディでのディープリム。でも、さすがに本国みたいに豪快なハミタイでは厳しいため、まったくカバーできていなかったオーバーフェンダーを取り去ってパイプフェンダーを自作。リア側のみストックとなるが、ここはいずれルーフキャリアを自作して、そのラダーとしての役割を絡めたワンオフ品を製作する予定。
特殊なPCDサイズとなるタンドラは大口径のディープリムホイールを探しても中々理想どおりの物が存在しない。High ForgedならリムデザインやJ 数、オフセットに至るまでフルオーダーが可能となる。また、センターキャップに自社ロゴなどの導入も可能だ。
HAOU WHEELS
TEL:0995-73-8684HP:http://www.haouwheels.com
PHOTO&TEXT:石井秋良
アメ車マガジン 2021年 6月号掲載
最新記事
2024/05/02
アメ車だから可能にした重量級洗車装置の積載【E350ステーキベッドトラック】
田中式洗車法と呼ぶ純水を使った特別な洗車法。移動洗車車両として使うには様々な装置を積載するため、その重さは重量級。日本のトラックでは重さに耐える車両がなく、本国から輸入したのがフォード・E350・ステーキベッドトラックだ。
2024/05/01
見た瞬間に一目ぼれ、将来住む住宅はジェネラルに決めた!
結婚したら一軒家に住む。漠然とそんな思いを持っていたオーナーさんは、先輩が建てた住宅のオープンハウスに行き、その住宅デザインに衝撃を受ける。「マジでカッコイイ!俺もこんな家に住みたい!」。それがジェネラルアメリカンホームとの出会いだった。
2024/04/30
本場のUSAカスタムが楽しめる大口径MTタイヤが日本上陸
アメリカの空気感を味わいたいからアメ車に乗る。できれば本国で走っているようなカスタムを楽しみたい。ホイールは手に入るけど、タイヤまでは難しい…。そんな悩みを抱くオーナーのために、覇王ホイールがFURY TIRESの販売を開始した!
2024/04/29
ビンテージだけど速いアメ車、それがこのクルマの魅力です!【シェベルマリブ】
免許を取って最初に乗ったのは、FDのRX-7。でも父親がC-1500に乗ったことでアメ車に引き込まれ、自らもC-1500→エスカレードを乗り継ぐオーナーさん。そんな彼が次に選んだのが、シェベル・マリブだった。